小児科医の書庫:索引頁
4 スイス
★スイスは憧れでしかなかった。西欧旅行を意識した当初、新聞に掲載されたスイスを含む旅行は価格が高かった。現実味がなく、自主設計旅行企画の計画を思い付かなかった。
★結婚30周年の2005年、妻がトラピックス企画を見出した。関空発着で、仁川経由、フランクフルト着、ドイツ3泊、スイス(・インターラーケン)連泊の5泊だったが、復路のチューリヒ発が(早めの)夜時間帯であり、実質現地6泊の1週間企画と大差ない(最終日は朝の出国が定番)。スイスでは全日自由日の設定があり、かつ、最終日はユングフラウヨッホまで上がる企画。モニターツアーと銘打ち、至極安価だった。
★写真記録では、この際が初めて、デジカメを保有して臨んだ。当時の写真を活かして、HPにまとめ得たのは、2025年。Wixの無料枠の扱いに慣れたコトもあり、わが人生における貴重な備忘録写真集となった。
★2005年5月、スイスは好天が続いていた。6/1(火)全日自由の日も天候は合格◎
朝食後、至近のハーダークルムへケーブルカーで登った。アイガー、メンヒ、ユングフラウのベルナーオーバーラント三山を(南に位置するゆえ、逆光で)眺めた後、インターラーケン東駅から一駅乗り、narrow gauge(軌間800mm) のシーニゲプラッテ鉄道 Schynige Platte-Bahn、登山電車の車窓を堪能し得た。
★シーニゲプラッテには著名な高山植物園(Botanischer Alpengarten Schynige Platte)ある。未だ開園前だったが、好天が続いていたことで、多くの高山植物が咲いていた。観光客は希少で、貸切状態で散策・堪能! 雲が多少涌いていて、水蒸気の影響で大気の透明度も落ちていたが、ユングフラウやシュレックホルンなど名山を眺めつつ、足元の高山植物を愛でる散策は至上だった。山上の楽園♪
往路、妻「下りは窓の無い車両だと良いね!」の願い通り、復路も堪能し得た。
★インターラーケンに戻り、観光地道路からは500m位南にある、チーズフォンデュの地元評価が高いヒルシェンを訪れた。極上のフォンデュを堪能!
スイスでのフォンジュは、後年定宿的に連泊を繰り返したグリンデルワルト駅に面し、「同地で一番!」評のホテルレストランで再三再四。ルガーノ市庁舎前のレストラン、ルツェルン市庁舎の至近レストランで味体験した。初体験のヒルシェンを再訪したい願いは続いたが、達成できていない。
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★2005年の最終日は澄んだ快晴に恵まれた。ツアーバスでラウターブルンネンに移動し、WAB(Wengernalpbahn)に乗換、クライネ・シャイデックへ。車窓は秀逸至極で、とくに、Wengeneralp 1987mでは反対列車待ち合わせの間、ユングフラウ山塊、優美なシルバーホルンに魅せられ、眺め続けた。
★当地(ベルナーオーバーラント地方)で人気一番の高所へ。WABの終点、クライネ・シャイデックでJB(Jungfarubahn)に乗換。現在、運航本数を増やす観点で、停車し、下車観光の機会が失われたのが Eigerwand駅 2865m:岩盤を貫き、防弾ガラスが嵌め込まれた展望所で、グリンデルワルト村などを眺め降ろした機会は貴重だった。次いで、今でも停車する Eismeer駅 3159m:展望窓から目前に氷河・氷塊を眺めた印象は強烈だった。そして、終着 Jungfraujoch駅3454m:岩盤内の駅から垂直エレベーターで昇り Sphinx展望台3571mmへ。眼下のアレッチ氷河の起始部はクリアだったが、下流域の2018年に登った Eggishorn 2927m 界隈は雲があり、景観が遮られていた。東至近のメンヒは澄んだ快晴の青空と白い峰のコントラストが鮮やかだった。気づけば、人が!望遠撮影で、複数の登山者を記録し得た。当地の起点、クライネ・シャイデック Kleine Scheidegg 2061mは高低差約1500mの眼下に登山電車と共に眺め、撮った。当地の北側に連なる稜線の奥は、2015年以降の自主設計旅を体験し、聖地としたメンリッヘン Männlichen 山頂2343m。眼下、西側にはWAB Wengerneralp駅 1987mも視認。
景観を堪能し、EVでJungfraujoch駅階に降りた。アレッチ氷河の起点となる屋外に出て、残雪が広がるレジャーゾーンの雰囲気を垣間見た後、集合場所へ予定時刻前に到着。
★クライネ・シャイデックからは、WABでアイガー北壁の裾野を下り、Grindelwald Grund 944mで下車。ツアーバスでインターラーケン 568mに戻り、Höhematte ヘーエマッテ公園の北側に面したお店で、お土産とトイレ休憩。チューリヒに向け走行中、トゥーン湖と対岸の山々の特異な景観に心を奪われた。後年、当地を再三再四訪れるコトになろうとは・・・。
★その後の行程も写真と共に、新鮮に、感動的に思い出せます。(感謝至極)
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★スイスはその後、自由・自主企画旅行を開始した2015年まで約10年の空白があった。発端は失念$したが、2014年にスイストラベルパスを活かした計画を立案した。整ったら、自身、惚れ惚れとする企画に仕上がった。催行は2015年初夏。
設計当初は、単独での催行だったたが、自画自賛計画がもったいないとの感覚で、誰か誘おうと考えた。小生が気を遣わなくても良い関係性、旅行好きで、山が歩ける仲間・・・。2005年当時、智頭病院勤務で、職員親睦旅行の医局役員の補佐#を自主的に申し出た彼に白羽の矢を当てた。彼は、智頭を辞した後、大学人事で中央病院に異動。ふっくら体型を鍛えるべく、トライアスロンを実践中であった。彼が参加を決めた。
★ジュネーブ空港基点で、8日間有効のトラベルパスを活かし、グリンデルワルトに7連泊。天候に恵まれ、秀逸至極の旅行となった。
当時の写真集をPC作成のWix版HPに残したが、近年スマホ版(PC版を調整)サービスが加わり、再編集した。自身、スマホ保有が遅かった(2022/7/30購入)ため、戸惑いつつの再編集作業だった。
★2016年は妻を伴うことを決定済だった。2017年は「秋のスイスも体験する」と告げたら、彼は即「ボクも行きます!」で、2018年も彼が同行した。結果、スイスに4年間で3回も同行(彼の西欧は3回)した。
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★2019年は、妻の親しい彼女も伴い3人での催行。妻談「スイスだけは、現地に身を置かねば良さが分からない。写真やTVではダメ!」発言が発端だった。
★往路は久しぶりに昼便とし、初めてANA利用とした。鳥取から羽田へ。羽田からフランクフルトへ。ルフトハンザのコードシェア便でチューリヒへ。(2015~2018年は、関空発着、ターキッシュエアラインズでジュネーブ空港を起点としていた。)
★チューリヒに降りたのは、妻談「ライン滝に行きたい!」発言があったコト。ベルナーオーバーラント地方からは対極的な地であり、当初は困惑!
夕刻に到着したチューリヒに泊まり、翌朝、ボーデン湖畔を電車で走り、スイスのライン川下りも設計した。ライン滝を堪能後、チューリヒに戻り、ホテルに預けたスーツケースを受け取り、(日本では体験不能な)特急列車のレストランカーでの夕食も自主設計特典!
トゥーン湖を眺め降ろす◆駅至近のホテルに7連泊!
マッターホルンを眺めつつの4湖巡りなど、彼女らのスマホで、最初の4日間で70km以上歩いたことで、筋肉疲労の訴え+:トラベルパスを活かした足休め企画を設計し、堪能した。(:ライン川の現流域を訪ねる鉄道旅~1時間の河畔散策。木造の歴史あるケーブルカーと最新鋭のロープウェイで上がるシュタンザーホルンと湖クルーズ)
レマン湖は広いがゆえに、過去にも設計に難渋し、未体験だった。が、最上の計画を構築し得て実践。列車でモントルーに移動し、上質な湖畔散策路を北へ。小桟橋からクルーズ船に乗り、混雑するモントルーを経て、東湖畔沿いに桟橋に着岸しつつ南へ。そこはフランスと小さな川で国境をなす街。クルーズ船は便名を変更し、モントルーに直行した後、北進。世界文化遺産の葡萄畑が連なるラヴォー地区の基幹町の桟橋に着岸。予習と異なる湖岸の環境は、20年に一度開催される祭りの大がかりな特設会場だった。(と知ったのは帰国後のコト)
レマン湖の北岸沿いに西へ。目的とした桟橋で、下船し、葡萄畑の中を約100m上り、ワイナリーへ。テラスで、オススメのワインを飲み、郷土パンをかじる。心地良い風、秀逸な景観の中最上のひと時を体験。至近の地方線駅で、近郊電車に乗り、ローザンヌへ。急勾配の地下鉄で旧市街に行き、散策。特急のレストランカーでの夕食。
2020年からは、新コロ禍中となり西欧はダメ!次いで、ウクライナへの侵略戦争もあり、4年間の空白。
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★2024年にウィーンとスイス行を達成。スイスは単独行とした。理由はカヤックを持参したため!滞在期間中3回の出艇が実現した。
その後、円安・ユーロ高が著しくなった。日本は「物価高を上回る賃金上昇」が達成されていないが、西欧、とくに、スイスは達成されているようで、スイスフランの高騰以上にホテル代が高騰し、縁遠くなってしまった。
★結局、スイスは、発端となった2005年、自由設計企画での2015-19年の5年間と2024年の計7回。夢を超えた実践・実績に感謝至極です。('26/5/28記)
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$ 誘因は、2009,2011年のロンドン、2012-14年5月のウィーンの実践・実績。かつ、情報収集、企画立案・設計自体が趣味でもあってのコト。
# 韓国に関心が高く、年度途中に異動になる可能性がある・・・と、彼は主体的に班長を担った。で、6月の催行とし、募集したが、参加者が集まらなかった。で、10月の異動を念頭に、9月初旬に、小生が班長を担い参加者を募った。人数が集まり、催行決定。本音は、未だ蒸し暑く、秋雨前線に見舞われる懸念から、行きたくない季節だったが・・・。
結果論で、夜間、寝ている間に前線が南に抜け、極小雨には遭遇したが、難を逃れ得た。関空から釜山に降り、北上し、仁川から帰国する3泊4日の安価なトラピックス企画でした。