小児科医の書庫:索引頁
次点 Volunteer
◆ 医学部の学生から臨床医となった人生:気づいてみれば、多種多様なボランティア活動を実践していたとの自己評価!
◆ 医学部3年生の夏、小児糖尿病の大家で第一内科(当時)の★教授の社会活動が端緒だった。九州大学時代に実績があり、鳥取大学着任後、中四国で初めて、地元大山の環境を活かしたサマーキャンプが計画された。
医学部3年生当時で、募集がかかり、応募した。愛称[大山家族]の提案・採択、替え歌をも担えた。1年限りとしたのは、次世代にバトンを引き継ぐためで、約半数が継続した。
◆ 1981年度、鳥取県立中央病院着任後、神経小児科教授の恩師 竹下研三先生が、筋ジス(等)療育キャンプを推進しておられ、必然的に参加し続けた。医師ではあったが、竹下先生が診療主体であり、小生は血圧、心電図、採血等の技術面に留まった。かつ、1泊2日(実24時間)のキャンプ生活において、筋ジストロフィー協会の米村ご夫妻と共に、企画・実践に参加し続けた。患者としての参加者と共に、入浴時は素裸で介助した姿勢が喜ばれた。即ち、海水パンツ非着用のスッポンポンの裸の付き合いでした。また、感想文等をまとめた冊子作成も継続した。
神経小児科の後輩に託せるようになって、自身は辞した。
◆ 書くほどではないが、医学部時代から献血(全血 200ml、400ml)を続けたが、1977年秋に肝炎を患い中断した。後、高校生になった息子が継いでくれ、感謝した。
◆ 阪神淡路大震災の医療ボランティアは先鋒隊を除き、実質第一隊として新開地へ。3泊4日での交代が続いた。東北大震災の際は、智頭の一人小児科医ゆえに動けず。幸い、当時、航空自衛隊勤務の息子が参画してくれ、ありがたく、感涙した。
◆ 智頭に異動後は、金銭ボランティアが主体となった。
ユニセフ$、国境なき医師団$、セーブ・ザ・チルドレン$や地元の鳥取こども学園、そして、出会いがあった際の心臓病を守る会、あしなが育英会などと、智頭では求められ支援した森のようちえん。
ユニセフ等$は、自身の“芸術文化活動費”としている通帳から毎月5,000円。いつしか、20年を超え、'23/1 ユニセフからは感謝状が届いた。
満75歳を過ぎた年度末( '26/3末)毎月の寄付は終了とした。
'26/5/7 up



蛇足:考え方・生き様
◆ 世の中には、所得がある人、議員など社会的地位のある人が脱税(・法の隙をくぐり抜けての節税)がニュースになるコトがある。
小生?「健康税」と称して正規額を支払っている。また、健康体であり、1錠約10円の高尿酸血症と高血圧治療薬以外、現在、医療保険を使っていない。が、支払額は、介護保険を含め、高額!「健康税」の一貫として、妻に話している。感謝しつつの今💕
'26/5/7 up